
Emilio Pucci(エミリオ・プッチ)
エミリオ・プッチ(Emilio PUCCI)1914年、イタリアのナポリに生まれる。
フィレンツェの公爵家に生まれ、ミラノ大学へ通った後、アメリカのジョージア州アセンズの大学で学ぶ。
1937年、オレゴン州ポートランドのリード・カレッジに在籍、社会学を専攻。イタリア空軍のパイロットも務め、後には政治家としてイタリア議会に10年間在籍。
1939年、イタリア帰国後フィレンツェの大学に入学。1941年、政治学で博士号を取得。1945年、第2次世界大戦後、高校時代オリンピックのスキーチームの選手だったプッチは、自分でデザインしたスキーパンツが雑誌「ハーパース・バザー」に掲載され、人気を博す。
以後、同誌から女性用の冬服を依頼され、ニューヨークで売り出される。その後も各国のセレブに上品なプリントが受け入れられ、「プリントの王子(Prince of Prints)」の異名を持ち、衣服やカーペット、アポロ15号使節団のロゴ等々まで手がけ、30年以上もの長きに渡って不動の地位を築く。 エミリオはイタリアの家族的経営に誇りを持ち、自身が富豪でもあるため、商業ベースで事業を拡大する方針はとらず、限られたバイヤーが、彼の居住するフィレンツェのプッチ城を訪れ、城のホールでファッションショーを見て、買い付けを行うという方式をとっていた。当時、日本でこれができたのが、ビームス。日本でプッチの小物や下着を正規に扱うことができるのはビームスだけだった。
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プッチは、1992年に亡くなり、1997年にはミラノの会社に経営権を譲渡。60‐70年代のリバイバルブームによって再評価され、娘、ラウドミア(Laudomia pucci)により復活。2000年、LVMHグループに参加。2001秋冬より、ジュリオ・エスパーダがアーティスティック・ディレクターに就任。ラウドミア・プッチはイメージ・ディレクターとなる。
2001年のミラノ・サローネでプッチはカッペリーニ社、パトリック・ノルゲとコラボレーション。ソファや椅子に「プッチ柄」が蘇り、デザイン界の話題をさらった。2003春夏からデザイナーがクリスチャン・ラクロア(Christian Lacroix)に変更。
クリスチャン・ラクロアは、1951年フランス、アルル生まれ、ソルボンヌ大学で美術史を専攻後、エルメス入社。アクセサリーデザイナーを経て、ギ・ポーランの助手としてビブロス入社。81年ジャン・パトゥのデザイナーに抜擢。87年LVMH(当時は、アガシュ・ウィロー・グループ)のバックアップにより自らのメゾンをフォーブル・サントーレに構え、88年二回目のデ・ドール賞(金の指貫)受賞。同年イタリアのジェニーからプレタポルテにも進出。オートクチュールの寵児として一世を風靡したが、94年香水「セラヴィ」の失敗以後、輝きを失いつつある。が、2003年春夏からエミリオ・プッチのアーティスティック・ディレクターに就任。2002年フランス最高の勲章レジオン・ド・ヌールを受賞。
2004秋冬からはブランド創設の基となったスキーウェアコレクションを、ロシニョールとの提携により再開。
2005年10月、エミリオ・プッチはクリスチャン・ラクロワの後任としてマシュー・ウィリアムソンを次期デザイナーに指名。「ウィリアムソンは、プッチのスピリッツに最適な、カラーでグラマーなブランドを作成しました」と発表した。マシュー・ウィリアムソンは、ベルナール・アルノーが個人的に(鶴の一声で)選んだとされ、エミリオ・プッチの娘ラウドミア(Laudomia)は、ラクロアの辞任を確認した後で「プッチは持続的な物語です。私たちはまた、彼に会うでしょう。それは『さよなら(goodbye)』ではなく、『またね(arrivederci)』です」と述べた。ラクロアは自分のブランドがLVMHを去ったのにプッチだけ残るのは、ラクロアの新オーナーであるFalic兄弟に対して「アンフェア」になると語った。
エミリオ・プッチ(Emilio PUCCI)現デザイナー
クリスチャン・ラクロワ(Christian LACROIX)。1951年、フランス、プロヴァンス地方のアルルに生まれる。眉が濃く、つながっているが髪は薄い、大きな目と鼻が特徴の、亀有でお巡りさんをやっていそうなお茶目な男性。モンペリエ大学、ソルボンヌ、エコール・デュ・ルーブルで美術史を学ぶ。
78年、エルメスに入社し、アクセサリーのデザインを手掛ける。
80年、ギー・ポランのアシスタントに就任。81年、ジャン・パトゥのオートクチュールのチーフデザイナーに就任。
87年、CFDA(The Council of Fashion Designers of America)の最優秀外国人デザイナー賞を受賞。
87年、LVモエ・ヘネシーグループの傘下に入り、パリのフォーブル・サントノーレに自身の名を冠してオートクチュール・メゾンを開設。同年7月、オートクチュール・コレクションを発表し、「金の指貫き賞(デ・ドール賞)」を受賞。
88年、パリ プレタポルテ・コレクションを発表。90年、初めての香水「セラヴィ」を発表。
94年に「バザール」、96年に「ジーンズ・ド・クリスチャン・ラクロワ」をスタート。
2001年、代官山に日本初の旗艦店をオープン。
他、舞台衣装のデザインや製作も行っている。2003 S/Sより、エミリオ・プッチのアーティスティック・ディレクターを務める。 |